浄土真宗本願寺派多摩組 オフィシャルウェブサイト

組報「多摩」2002年度 第02号

2002年度多摩組連続研修がはじまる

昨年度に続き『いのちについて』をメインテーマに、六月・十月(宿泊研修)・三月の、延べ四日間が計画されています。
多摩組連研(連続研修)の目的は、門徒推進員の養成にあります。門徒推進員は、それぞれ所属寺院の活動の中にありながら、自らみ教えを聴聞するとともに、人間の尊厳を踏みにじる差別をはじめとする社会の問題に積極的に取り組み、お互いのいのちの尊厳を認め合う社会の実現をめざす教団の基幹運動を、僧侶とともに実践する門信徒です。
本年度において、門信徒会運動40周年・門徒推進員20年の大会が予定されております。

法話「願いに生かされて」

昔から「人間とは何か?」ということが、多くの人によって問われてきました。そしてまた、この問いに宗教や哲学が様々な答えを示してきました。
そうした答えの一つに、「人間とは、願いを持つ生き物である」という言い方があります。確かに、人間は、生きていくために様々な願いを持ち、かつ、その願いの実現のために努力をします。今の、この便利で経済的に豊かな私たちの生活は、この人間の願いと、その願いを実現しようという努力によってもたらされたとも言えます。
しかし、よく考えてみますと、人間の持つ願いは、そのほとんどが自分中心の煩悩なのですね。「自分さえよければ」、「自分の身内さえよければ」という思いが、私たちの願いの根っこにはあるのです。
今、世界中で一番の話題は「環境問題」です。しかし、そもそもその環境問題の元凶は、私たち人間なのです。 私たち人間の持つ「もっと便利に」、「もっと豊かに」という願いが、大量生産、大量消費、大量廃棄をもたらし、現在のような地球環境の悪化を招いたのでした。多くの電化製品に囲まれ、空調の利いた快適な室内でこの『組報』を読んでいる私やあなたと、決して無関係ではないのです。
お釈迦様は、こうした人間のあり方を、次のような三つの言い方で示して下さいました。「人間とは、自分中心の願いを持つ生き物である」、「人間とは、自分の持つ願いによって苦悩する生き物である」、「人間とは、苦悩するが故に仏から願われている生き物である」と。
人間とは第三者のことではなく、もちろん「この私」のことです。この私の自分中心の願いが、実は苦悩を生み出しているのです。そして、その苦悩によって、時には生きる方向性を見失い、また時には人生に絶望する私がここにいるからこそ、そこから救わんとする阿弥陀様からの限りない願いがかけられていたのでした。願うまんま、苦悩するまんま、阿弥陀様の願いに生かされていた私です。
現代人は、自分の願いを満たすことだけに気を奪われ、自分にかけられた願いにはなかなか気が付きません。そこに、世の中が混迷を深める原因があるのではないでしょうか。
たとえ人生に絶望しても、自分自身に絶望したとしても、私は一人ではありません。いつでもあるがままの私をいだきとってくださるどこでも阿弥陀様と一緒なのです。その願いの中に生かされているのです。
多摩組内の多くの寺院で定例法座が開かれています。この私にかけられた限りない願いを、よくよく聞き開かせていただきたいのものです。

誓願寺住職 藤原 忠房

多摩組サマーキャンプ

多摩組では、例年の夏休みに、小学校一年生から六年生までの少年少女を対象に、一泊二日の日程で、自然に親しみながら、仏さまに手を合わせることや、いのちの大切さを考える「多摩組サマーキャンプ」を開催しています。
本年は、七月二十三日から二十四日、「サマーキャンプ・イン・富士」と銘打って、静岡県富士市の「富士山こどもの国」を会場に、四十八名の子供達の参加を頂きました。
本年の特徴は、モンゴルの遊牧民のテントを模した「パオ」に泊まること。寝袋ではじめて眠る子供たちの嬉しそうな笑顔が印象的でした。
会場となった「富士山こどもの国」は東京ドーム十八個分という広さがあり、草原あり岩山あり水場あり牧場あり森ありというすばらしい環境の中で、酪農体験や動物たちとのふれあいを通して、自然を満喫した子供たちはいきいきしていました。
夜には、キャンプファイヤーで楽しいひとときを過ごし、真っ暗な富士の裾野に歓声が響きわたっていました。
翌朝、澄みわたった空気の中に、間近に見える富士山がとても感動的で、無言で見つめる子供たちがの姿がありました。
七時からの「朝のおつとめ」は、パオの中で執り行われました。おつとめに続いて法話。眠い目をこすりながら先生の話に聞き入っている子供たちに、パオの小さな窓から見える富士山もまた何かを語りかけてくれているようでした。
帰路、立ち寄った「まかいの牧場」では、アイスクリームを自分たちの手で作りました。とても美味しかったようです。
続いて、屋外で閉会式を行いました。おつとめに続いて、一人ひとり終了の証と参加記念品が授与されました。
一泊二日の短い期間ではありましたが、自然とふれあう中で子供たちに何かしら感じ取ってほしいと念願し、来年もまた元気に参加してくれることを期待しております。

多摩組の活動

仏教壮年会の活動について

仏教壮年会の活動の歴史は、一九六〇年代に遡ります。
宗門発展のために壮年層の積極的な活動への参画が必要であるとの認識が高まり、一九六八年(昭和四十三年)に「壮年層教化のために」という資料が発刊され、全国で壮年の組織が相次いで結成されました。
一九七三年(昭和四十八年)には、「門信徒会運動推進全国壮年大会」が開催され、「全国仏教壮年会連盟」が結成され、教区・組の連盟結成が呼びかけられました。さらに一九七九年(昭和五十四年)には、「仏教壮年の結集をはかり、基幹運動(門信徒会運動・同朋運動)の充実推進に資する」ことを目的として「仏教壮年の結集に関する宗則」が定められました。
このような経緯の中で、社会経験豊かな壮年の諸先輩が、会の活動を、単にみ教えを学ぶだけの場でなく、現実社会のさまざまな課題に取り組み、宗門の基幹運動を推進していく場として、これまでに積み重ねてこられた成果は、教団の活性化に多大な貢献をしてきたものと自負しております。
残念なのは、多くの寺院で壮年会の結成が遅れていることです。多摩組でも二十四ヶ寺中わずか三ヶ寺が壮年会を結成しているにすぎません。
壮年会は趣旨に賛同する二人以上の壮年門信徒で結成できます。
伝統ある仏教壮年会活動を、皆さまのお寺でも是非継承し、発展させていただくことを願っております。
尚、東京教区にある仏教壮年会が集まって、教区仏教壮年連盟を結成し、より幅広い活動を行っています。
本年度の主な行事としては、十一月に広島市で開催される「仏教壮年連盟全国大会」と来年二月に鬼怒川温泉で開催される「東京教区仏教壮年会連盟結成記念日研修会」があります。いずれの会も、多方面で活躍する壮年門徒諸氏との交流の出来る貴重な機会です。
詳細については、各ご寺院もしくは多摩組事務所にお問い合わせを。
(東京教区仏教壮年会理事 大久保賢吉朗)

多摩組総代・世話人会の活動について

暑かった今年の夏もようやく過ぎ、各お寺の総代・世話人を始め、門信徒の皆様方もそれぞれの生活とお寺の行事を終えて、ほっと一息の頃と思いますが、とにかく大変ご苦労様でした。
さて、私達総代・世話人会として本年度は、去る四月二十日の多摩組の総会で示された基本テーマである、私達のお寺ををより良くする為の「門徒総代・世話人研修会の充実」を実践するための準備と活動を行いたいと考えています。
「門徒総代・世話人研修会」については来年の二月の開催を予定していますが、そのアウトラインや実行にかかわる問題点を私達で検討しながら良い形に作り上げるべく、現在各寺院より門信徒代表の方一名を選出して頂いて本年九月と来年一月に実行委員会を行い、その中で、企画、立案、実施に至るまでを話し合って決め、出来るだけ門信徒が中心になった「門徒総代・世話人研修会」の実現を考えています。
これにより、一層のみ教えの勉強、今まであまり出来なかった各寺院との交流や、貴重な皆様の経験の話し合い、そして各お寺や私達が共有しながら解決できない問題を良い方向に導きながら、皆様方、多摩組各寺院の一層の発展につなげたいと思っています。
(組総代代表委員 西川 進)

お寺を訪ねて
「町田布教所 高源寺」
(町田市野津田町)

西本願寺では、親鸞聖人のおすすめいただいた念仏のみ教えを一人でも多くの方々へ広めていく活動の一環として、近年の都市部への人口集中にともなう門信徒の大量移動に対応すべく、宗派をあげて「都市開教」に取り組んでおります。
町田布教所髙源寺は、この活動の中で平成13年4月に開設されました。
小田急線鶴川駅からバスで十分、袋橋駅下車。鎌倉街道沿いの新興住宅地に、瀟洒な建物が見えてきます。
案内していただいた鳴海専従員(住職)は、奥様と、男の子ばかりの高校生二人と小学生一人の五人家族と伺いました。
本堂は、椅子席に25脚ほどのこぢんまりとした中に、阿弥陀如来・親鸞聖人・蓮如上人のご絵像が荘厳され、参拝者をあたたかく迎えてくれます。
毎月第二土曜日午後一時半からの定例法座には、近在の門信徒十名ほどの参拝があるそうです。また、有縁の皆さまに、定例法座の案内にあわせて築地新報やお便りなどの文書伝道を行われております。
開設間もない頃、通りの看板を見て訪ねて来られた方が、いきなりお念珠の修理をして欲しいといわれ、うれしく応対させて頂いた話や、手作りの焼香机や布教のための演台などを拝見し、都市開教にかける熱い思いを感じたことでした。
さて、参拝がすんだら徒歩五分で新東京百景に選ばれた、緑豊かな薬師池公園で、二千年の眠りから覚めた大賀ハスを拝見しましょう。
近隣には、四季折々の散策が楽しめる「トトロ」がすんでいる七国山中腹の「ぼたん園」「町田ダリア園」などがあります。
専従員は、築地別院に二十年間勤務をされた経験をいかし、「人びとの集えるお寺、新しい人も気軽に訪れることのできる敷居の低いお寺をめざし、お念仏を広めていきたい」と語られておりました。
(西川・大久保・石岡)

なぜなにQ&A
「なぜ『お清め』するの?」

地域によって異なりますがご葬儀には様々な風習があります。 「清め塩」や「清めの水」、「友引に葬儀を避ける」、「火葬場への順路を変える」、「収骨は二人でお骨を持ち合って」などはよく目にしますが、何故そのような行為をするのかというと、意味は解らないまま、周りの人に言われるままに行っていることが多いのではないでしようか。 しかしそれらの行為の由来を訊ねてみると、死は「穢れ」であり、関わりたくない、避けたいという思いから、死んだ方を「穢れた存在」として遠ざけ、関わった場合は祓わなければならないとする考えから起こってきたものがあります。 死んだ方を「穢れた存在」とすることは、お世話になった故人の尊厳を傷つける身勝手な行為と言えるのです。昨日まで一緒に生活していた家族、お付き合いしていた友人がどうして「穢れている」といえるのでしようか。 死を忌み嫌い死の事実から目を背けても、誰にも死は訪れます。誰にでも訪れる死をいかに受け止め、いかに乗り越えていくかを仏教は提示しています。 そこに故人を「穢れた者」として遠ざけるのではなく、故人のご生涯をわが身に受け止め、今を生きるいのちを改めていただきなおす道が開けるのです。 「昔からやっているから」「みんなやっているから」とごまかしてしまうのではなく、間違った習慣、無意味な習慣に左右されることなく、『門徒もの(忌み)知らず』といわれた迷信に捕らわれない生き方を心がけたいものです。(酒井淳)

築地本願寺

現在の建物は、関東大震災で崩壊した本堂が再建されたもので、東京(帝国)大学工学部教授・伊東忠太博士の設計により古代インド様式で1931(昭和6)年に起工、3年後の1934(昭和9)年に落成された。
この建物は、インド様式の石造り仕様となってるが、本堂内は従来通りの桃山様式を取り入れた荘厳となっている。
第二次大戦中にあっては、東京は空襲によってその大半は焦土と化したが、石造り仕様のため別院は一部を消失したのみで、本堂は類焼を免れた。
そのため被災者の収容や、のちには陸軍が駐屯したり、空襲により焼け出された新聞社に一部を貸与したりと伝え聞いている。
そのような状況の中においても、晨朝勤行(朝の勤行)や法話は、一度も休むことなく続けられ、遠方より参詣があったということである。
1985(昭和60)年即如門主伝灯奉告法要・本堂再建五十周年記念法要の事業として、本堂両袖に第一伝道会館・第二伝道会館が建設された。
別院創建以来380余年の歴史は、お念仏の道場を護り続けた門信徒の懇念の歴史である。